ハハハ廃墟

サボタージュ

利き糞選手権

ある島の可能性」の読書感想文です、ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この作品において最終的にダニエル25がおかれた状態は涅槃のイミテーションのようなものだと思う。ネオ・ヒューマンは過去人類からの反省により恐らく「理論的に」涅槃の状態に至るようにつくられ、結局はその「理論」の限界の場所で生きる意味も死ぬ意味も剥奪され、ただ時を過ごすこととなる。

 作中、「<至高のシスター>によれば、嫉妬、性欲、生食欲の根源はみな同じである~我々は無関心でいる事から得られる自由な状態に達しなくてはならない。それが完全な平安を得る条件だ」とあり、この教えに従ってネオ・ヒューマンは生活空間からその身体構造に至るまでありとあらゆる「煩悩」から半ば強制的に隔離されている。言ってしまえば「力技」で涅槃に「至らせられる」存在である。そしてダニエル1の人生記の内容のテーマは「煩悩」であるように思う。ダニエル1は一生煩悩に振り回され続け、その苦しみを味わって死ぬ。恐らく涅槃的状態を重視する教えはこのダニエル1の人生記を反面教師としているのであろう。

 結局ダニエル25に涅槃による幸せは実現しなかった。力技で涅槃を「目指さされた」ネオ・ヒューマンは「生きる理由」を剥奪されただけだった。この結果は単純に「涅槃など存在しない」ということではなく文学作品として、本当に登場人物が涅槃に至ってしまえばその作者も涅槃に至らなければならず、一人の感情ある人間が人の手で書くものとして「真摯」に「涅槃」という概念に向き合った結果そうならざるを得ないということを示している。